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アクティングスタジオ,中松 俊哉/俳優

常にそういう姿勢を保ちたいと思う

中松 俊哉

俺は基本的に、表現には「こうでなきゃならない」という事はないと考えている。

そもそも演じるという行為は,誰かに観てもらうために行うモノだ。

映画でも舞台でも、観客不在では成立しない。
スタッフなしでは成立しない。
そして(基本的には)共演者なしでも、成立しない。

つまり、2重3重に他者からの視線を意識するべきなのだ。
他者からの視線を一切無視するなら、一人で部屋にこもって妄想してればいい。

リアリティという言葉を免罪符のように使う人間もいるが、つまらないリアリティ、伝わらないリアリティというモノも存在する。

逆に作品を面白くするウソ、心に響くウソもある。

結局、大切なのはバランスであり、その時求められるバランスはその瞬間、瞬間で変化していくので、臨機応変に対応すべき・・・という、ひどく曖昧な結論に至るしかない。
だから俳優は死ぬまで修行が必要であり、永遠の未完成とも言えるのかもしれない。

俺は吉田氏と出会う以前から俳優活動を行ってきた。
某撮影所の養成所、アクション系プロダクション、小劇場中心に活動する劇団・・・。

ニューヨークから来たアメリカ人の指導者につき、英語でレッスンを受け、英語で芝居するトレーニングを受けていた時期もある。

同じアクターズスタジオ系のトレーニングでも、いくつかの流れがあり、取り組むテーマというかウェイトのおき方やトレーニング手法は若干、異なる。

吉田氏のものはマイズナーのトレーニング法を元に、日本人が日本語で演じる事に役立つように考え出されたものだ。

・自分の五感を使い相手に想いを伝え、また相手からの表現を受け取る事でコミュニケーションをはかるトレーニング。

・実際の自分の感情に響く言葉や状況を呼び起こし、その感情を演技に昇華させるトレーニング。

・即興演技で感情の流れを体感するトレーニング。

・そして、それらのトレーニングを通じて得た感情を、人の手によって書かれた「シーン」という虚構に投影させるトレーニング。

それぞれ何を目的としてこのトレーニングを行っているのか?と言う事を理解しないと、自分が何をやってるのかわからないままの状況では、無意味な時間となってしまうだろう。
俺自身も、やってる内容と目的を理屈上だけではなく、実感を伴って把握するまでには多少の時間を要した。
まだまだ足りない部分も自覚している。

しかし、やっている内容は実に有意義であり、自分の演技に幅や陰影がついてきた事も、事実だ。

目的を理解して取り組むなら、決して損はないトレーニングだと思う。
興味のあるもの、面白いと思うモノは何でも貪欲に吸収し、自分の表現に取り入れようという姿勢はジャンルを問わず表現者であるなら必要不可欠であると思うし、俺自身、常にそういう姿勢を保ちたいと思う。

中松 俊哉

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